夏目漱石『二百十日』あらすじ、登場人物、名言、豆知識、感想など

夏目漱石 「二百十日」 あらすじ、感想夏目漱石 作品

夏目漱石の『二百十日』についての記事です。
※こちらの記事はネタバレを含みますので要注意です。

■夏目漱石『二百十日』とはどんな小説?なんて読む?

1906年(明治39年)10月1日に『中央公論』に発表。翌年1月1日に『鶉籠(うずらかご)』に収録され、春陽堂より単行本として発行されています。『鶉籠』には、『二百十日』のほかに『草枕』、『坊っちゃん』の3作品が収録されてます。

熊本での教師時代に同僚の山川信次郎とともに阿蘇各地を共に巡り、その際に阿蘇登山をおこなおうとして嵐に遭った体験が元になっているという作品です。

4月に『坊っちゃん』、9月に『草枕』、10月に『二百十日』とこの時の執筆のペースはすごいですね…もちろんそれぞれ短めの作品ということもありますが。

さて、タイトルにもなっている『二百十日』ですが、最初なんて読むのかも意味もわかりませんでした。

二百十日→にひゃくとおか

そのままと言ったらそのままなんですけどね…笑。

意味はというと…、

【二百十日(にひゃくとおか)】
立春から二百十日目の日。九月一日ごろに当たり、この前後には台風の来ることが多い。
※岩波国語辞典第七版より

同じような言葉に、二百二十日(にひゃくはつか)があります。

【二百二十日(にひゃくはつか)】
立春から二百二十日目の日。この前後には台風の来ることが多い。
※岩波国語辞典第七版より

八朔(旧暦8月1日)・二百十日・二百二十日の3つの日は、農家にとって悪天候による農作物への被害が懸念される「三大厄日」とされてきたそうです。

宮沢賢治の『風の又三郎』にも、二百十日・二百二十日が出てきますよね。

さて、話を夏目漱石の『二百十日』に戻しましょう。

その「二百十日」前日に阿蘇登山をするために東京からやってきたのが、圭さんと碌さんという二人の青年でした。

華族や金持ち嫌いの豆腐屋の圭さんと、圭さんより恵まれた環境に育つがいまいち自分の意思を強く持つことができない碌さん。

この二人の会話(主に社会批判)を中心に物語は進んでゆくのですが、旅館の女中とのユーモラスなやり取りや、阿蘇の風景描写などが秀逸です。

あまり漱石関連で話題に上りませんが、不思議と「また読んでみようかな」という気になる作品です。けど、主なテーマは当時の華族や成金に対する社会批判(不平不満?)なので、気軽なような重いような…そこのバランスが良い作品なのかもしれません。

ただ最初は、圭さんが話しているのか、碌さんなのか混乱することもあるかもしれません。特に序盤。

■『二百十日』のあらすじ

数種類の参考文献(各社文庫版より)に記載のあらすじを紹介します。

圭さんと碌さんの軽妙な会話を軸に,夏目漱石(1917―66)の阿蘇山旅行に基づき書かれた「二百十日」.若き二人の文学士と文筆に生きる男が,流動する社会に三人三様に向き合う姿を多面的に切り取った「野分」.先鋭な社会批評を中軸に据えた,長篇作家漱石誕生への橋渡しとなる二篇.改版(解説=小宮豊隆・出原隆俊)
引用元:岩波書店

 

俗な世相を痛烈に批判し、非人情の世界から人情の世界への転機を示す「二百十日」、その思想をさらに深く発展させた「野分」を収録。
引用元:新潮社

 

基本的に他の作品とセットになっているということもあり、他の作品と比べると扱いが小さいですね…。

■『二百十日』の主な登場人物

・圭さん:豆腐屋
豆腐屋に生まれ、華族やお金持ちに敵愾心を燃やす青年。浅黒く、体格も良い。

・碌さん:高等遊民?
はっきりとした意思を持たず優柔不断な感じ。恵まれた環境で育ったようだが、どことなく宙ぶらりんな印象を受ける小柄な青年。

■『二百十日』に関する豆知識

ここでは『二百十日』をより深く楽しむために豆知識的なものを紹介したいと思います。

・二百十日の舞台「熊本」と阿蘇山について

1923(大正12)年、ナショナル ジオグラフィック10月号に掲載された阿蘇山の写真。撮影者は、20世紀初めに阿蘇を撮影して歩いた英国人写真家ハーバート・G・ポンティング。

夏目漱石_二百十日_阿蘇山

画像引用元:ナショナル ジオグラフィック

 

夏目漱石は1896年(明治29年)29歳の時、愛媛にある松山中学を辞職しました。そして、熊本にある第五高等学校に赴任、その後1900年(明治33年)に文部省よりロンドン留学を命ぜられるまでの4年間、熊本にいました。

その間、漱石は中根鏡子と見合い結婚をし新婚時代を熊本で過ごしました。途中、鏡子夫人の流産や、自殺未遂事件など問題も起こっていたようです。

一方、東京では親友の正岡子規が弟子の髙浜虚子とともに俳句雑誌『ホトトギス』を誕生させていました。

ちなみに俳句雑誌『ホトトギス』で発表した漱石の作品は、デビュー作の『吾輩は猫である』と、『坊っちゃん』、『野分』の3作品。※すべて正岡子規亡き後。

そして、今回の『二百十日』は熊本時代に、同僚の山川信次郎とともに阿蘇各地を共に巡ったことが元になっています。(二百十日のほかに草枕もその体験が元と言われている)

以下のサイトに詳細が記載されています。
http://c-faculty.chuo-u.ac.jp/~houki/bungakusanpo/souseki/aso/aso.htm

山川信次郎とは学生時代からの親しい友人で、熊本五高に呼び寄せたのも漱石であったとされています。

鏡子夫人の『漱石の思い出』にも下記のような記述があります。

結婚のお祝いの手紙が狩野亨吉、松本文三郎、米山天然居士、山川信次郎、たしかこの四人さんの連名で参りました。みるとたいへん堂々たるお手紙で、祝辞が滔々と述べてあって、お祝いの品別紙目録どおりとあって、その目録が鯛昆布から始まって、めでたい品の限りを尽くしております。

こんなにたくさんの品を送ってくだすったのか、お友達というものはえらくありがたいものだと読んでいきますと、一番終(しま)いに小さい文字で、お祝いの品々は遠路のところ後より送り申さず候と、とうとう新婚早々一本かつがれてしまいました
引用元:『漱石の思い出』夏目鏡子述、松岡譲筆録

・水村美苗の『続・明暗』にも圭さんと碌さんが登場する?

水村美苗 続明暗

『二百十日』を読んでいるとどことなく見覚えのある会話があり、妙に頭に引っかかっていました。

僕が漱石の『二百十日』を初めて読んだのは結構後だったので、今まで読んだ漱石の作中になかったっけ?と思ったのですが、さすがにそれはないだろうと…それで、温泉の会話、温泉の会話と考えていると温泉がたびたび出てくる小説→『明暗』、しかし漱石ではないだろうと的を水村美苗の『続・明暗』に絞ってみると…あるじゃありませんか!

というのが以下の会話です。

「この湯は何に利くんだろう」

「然し豆腐屋にしちゃ、君のからだは綺麗過ぎるね」
「こんなに黒くってもかい」

「黒い白いは別として豆腐屋は大概箚物(ほりもの)があるじゃないか」
「なぜ」
「なぜか知らないが、箚物があるもんだよ。君、なぜほらなかった」

引用元:『続・明暗P211.P212』水村美苗

これは『続・明暗』の中の、津田が清子と馬車で小旅行から帰ってきた後にお風呂に入るシーンで登場します。今まであんまりほかに客がいなかったのに、若い男の声がする…というシーンなのですが、ここのセリフが『二百十日』の二章19P、30P(岩波文庫版)に出てくるセリフと全く同じなんです。

ただ圭さんと碌さんという名前までは出てきません。

しかし、さらに裏付けるように、P217に以下のようなセリフがあるじゃありませんか…、宿屋の三助(背中を流したり、垢すりをする人)の勝さんと津田が話すシーンです。

「ところで新しいお客がいるらしいね」

「あれっ、旦那は能くご存じで。東京から若い男の方が御二人見えました」

「一人は豆腐屋さんだね」

引用元:『続・明暗P217』水村美苗

明暗の舞台は熊本ではないので、もちろん圭さん・碌さんではないですが、見つけたときは思わずうなってしまいましたね。と言っても、漱石関連の本やネット上ですでに指摘しているとは思いますが(笑)

・作中に登場する印象深い!?恵比寿ビールについて~簡単な歴史

「ビールは御座りませんばってん、恵比寿なら御座ります」
引用元:『二百十日』夏目漱石 P36(岩波文庫版)


この第三章の女中さんと圭さん、碌さんのやり取りが微笑ましくてとても好きです。

熊本の田舎の宿屋の女中さんが、恵比寿をビールとわかっておらず頓珍漢なことを言っているシーンなのですが、ふと、「この時代からエビスビールはあったのか!」と疑問に思ったのです。

でもって調べてみると…

1887年(明治20年)サッポロビールの前身「日本麦酒醸造会社」設立され、1890年(明治23年)に「恵比寿ビール」誕生しているんですね。

恵比寿ビールラベル

明治26~41年のラベル
画像引用元:サッポロビール株式会社

そこまで歴史あるビールとは思わなかった。

その後、戦中においてビールが配給品となりビールの全商標がいったん消えます。その後、1971年に「特製ヱビスビール」として28年ぶりに復活販売されます。

で、現在に至り、2020年で誕生から130年!になるそうです。

■『二百十日』名言

「不公平な世の中を公平にしてやろうと云うのに、世の中が云う事をきかなければ向の方が悪いのだろう」
引用元:『二百十日』夏目漱石 P16(岩波文庫版)

 

「ビールは御座りませんばってん、恵比寿なら御座ります」
引用元:『二百十日』夏目漱石 P36(岩波文庫版)

 

「僕だって一人前の人間だよ」
引用元:『二百十日』夏目漱石 P76(岩波文庫版)

■『二百十日』の個人的な感想

夏目漱石の『二百十日』を読んだのは、ある程度漱石作品を読んでしばらく経った後でした。

なんとなく、「まだ、二百十日と野分は読んでなかったな…」と古本屋で探し始めたのがきっかけ(新品は高いし、ブックオフでは漱石作品は高いので)で、他の作品は何度も読んでいたのもあったのにも関わらず、ず~っとスルーしていました。

一度読了した後は、なんとなく見過ごしてきた作品にありがちな、

「なんでこれをもっと早く読まなかったんだ、俺は!(怒)」

というありがちな感想も特に抱けず、「まぁこんな感じか~でも面白いな」という至極あっさりしたものでした。

しかししかし、なんとなくまた読みたくなる作品として、それから度々手に取ったものです。

『二百十日』はほとんどが、圭さんと碌さんによる会話によって成り立っていますが、時折顔をのぞかせる地の文が的確で、特に阿蘇山に登り始めてからの風景描写は少ないながらもとても印象的でした。思わず顔が黒くなっていないか拭いたくなるくらい(笑)

そして、圭さんの社会批判ですが、圭さんの社会批判は実際のところただの愚痴と言ってもよく、特に何か行動を起こしているわけではありません。

ただ、鬱憤を晴らしている…とも受け取れます。

それが何か、逆にリアルに感じました。

ただ言いたいだけ…。僕もそんな時期があったように思います。というか、ありました。

今より若いころ、僕もよく友達と登山に行ったりしたものです。

もちろん阿蘇山ではなく、そこには圭さんと碌さんのような手に汗握る救出劇みたいなこともありませんでした。

それでもふと、なんとなく街が嫌になって友達と山に登るということが多々あって、山の上でテント張って、星を見ながらお酒を飲んで、世の中に対する鬱憤を晴らす…なんてこともしばしばありました。

自分の立場もわきまえず、それはもう滔々と話し合ったものです。まぁ、ありがちですよね。

もちろん『二百十日』に限った話ではないのですが、そういう過去の少し恥ずかしい情景がふわふわと浮かんでくるのです。

たとえ、ミステリアスできれいな女性が出てこなくとも、僕はこの作品が意外と好きです。

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