夏目漱石『坊っちゃん』あらすじ、登場人物、名言、豆知識、感想など

夏目漱石 「坊っちゃん」 あらすじ、感想夏目漱石 作品

夏目漱石の『坊っちゃん』についての記事です。
※こちらの記事はネタバレを含みますので要注意です。

■夏目漱石『坊っちゃん』とはどんな小説?

1906年(明治39年)4月1日に『ホトトギス』に発表され、翌年1月1日に『鶉籠(うずらかご)』に収録され、春陽堂より発行される。ちなみに『鶉籠』には、『坊っちゃん』のほかに『草枕』、『二百十日』が収録されてます。

この『坊っちゃん』ですが、執筆のペースが尋常でなく、1906年(明治39年)の3月半ばに書き始め、3月の末には脱稿したみたいです。脱稿するまでに約2週間で出来上がったというのは驚きです!

「親譲りの無鉄砲で子供の時から損ばかりしている」
引用元:岩波文庫版

この書き出しも『吾輩は猫である』と同様、なじみ深い有名な書き出しですね。

親譲りの無鉄砲さを持つ、まっすぐな性格で正義感が強い坊っちゃんが、四国の田舎の教師になり、そこで赤シャツを代表とする、「権力」や田舎の慣習に立ち向かう…というのが大筋でしょうか。

生徒によるイタズラや、赤シャツの策略、田舎の古いしきたりなどなど、様々な出来事が起こります。

その中で、「清」という奉公人の優しさ、愛情がとても引き立っていているのがこの小説の大きなポイントだと思っています。

手持ちの岩波文庫本だと全部で142ページという少ないページ数で、漱石作品の中でもかなり読みやすい内容なので、大作に疲れた時に読むと、とてもスッキリ読めるのもありがたいですね(笑)

■『坊っちゃん』のあらすじ

数種類の参考文献に記載のあらすじを紹介します。

『坊っちゃん』は数ある漱石の作品中もっとも広く親しまれている.直情径行,無鉄砲でやたら喧嘩早い坊っちゃんが赤シャツ・狸たちの一党をむこうにまわしてくり展げる痛快な物語は何度読んでも胸がすく.が,痛快だ,面白いとばかりも言っていられない.坊っちゃんは,要するに敗退するのである.
引用:岩波書店

 

松山中学在任当時の体験を背景とした初期の代表作。
物理学校を卒業後ただちに四国の中学に数学教師として赴任した直情径行の青年“坊っちゃん”が、周囲の愚劣、無気力などに反撥し、職をなげうって東京に帰る。
主人公の反俗精神に貫かれた奔放な行動は、滑稽と人情の巧みな交錯となって、漱石の作品中最も広く愛読されている。近代小説に勧善懲悪の主題を復活させた快作である。
引用:新潮社

 

教師になって四国の松山へ赴任した江戸っ子の坊っちゃん。
持ち前の正義感で、赤シャツや野だいこ、マドンナやしたたかな生徒たちを相手に、珍無類の大騒動!
引用:集英社

 

単純明快な江戸っ子の「おれ」(坊っちゃん)は、物理学校を卒業後、四国の中学校教師として赴任する。一本気な性格から様々な事件を起こし、また巻き込まれるが。欺瞞に満ちた社会への清新な反骨精神を描く。
引用:角川


こう見ると各社の特徴が良く出ているような気がします。

僕個人としては、「面白いとばかりも言っていられない。坊っちゃんは要するに敗退するのである」ここはやっぱり重要とおもってしまうので、岩波文庫推しになってしまうんですよね…ただちょっと高いのが難点です。岩波文庫。

■『坊っちゃん』の登場人物について

・清:
数少ない坊っちゃんの良き理解者で、実家で働いていた下女(奉公人)。
坊っちゃんのことをとても可愛がり、四国に教師として赴任してからも心配してくれていた。もともとは身分の高いものだったが、明治維新で落ちぶれてしまった。

・狸:
坊っちゃんが赴任した学校の校長先生。

・山嵐:堀田先生。数学教師。
坊っちゃんと同じように正義感が強く気が合うが、けんかもする。
坊っちゃんが信頼する唯一の教師。

・赤シャツ:教頭
赤いシャツを着ているので、坊っちゃんが「赤シャツ」とあだ名をつけた。
卑怯なやり口を使う策略家で、嫌な奴。

・野だいこ:吉川先生。画学教師。
赤シャツの腰巾着。

【腰巾着(こしぎんちゃく)】
腰に下げる巾着。転じて、いつもその人に付き添って離れない人。普通軽蔑して言う。
※岩波国語辞典第七版より

・うらなり:古賀先生。英語教師。
内気で弱弱しい性格。赤シャツの策略によって田舎に転属になってしまい、婚約者であったマドンナを赤シャツにとられてしまう。

・マドンナ:遠山さん
登場回数は少なく、詳細はあまり語られないです。元々うらなりの婚約者だったが、赤シャツと交際を始める。

■『坊っちゃん』に関する豆知識

ここでは『坊っちゃん』をより深く楽しむために豆知識的なものを紹介したいと思います。

・主人公『坊っちゃん』のモデルとは?

『坊っちゃん』にでてくる「坊っちゃん」にはモデルがいたとされています。

松山教師時代の漱石自身の体験が元に~と思っていましたが違ったんですね。「坊っちゃん」は漱石自身ではなくちゃんとモデルがいました。(もちろん色々組み合わせていると思うので、中には自分の体験も含まれていると思いますが…)

そのモデルというのが、「弘中 又一さん」

夏目漱石 坊っちゃん モデル 弘中又一画像引用元:同支社中学校

明治28年4月漱石が英語教師として愛媛県松山中学校に赴任した際、一か月遅れで、数学教師として赴任。約1年漱石と一緒となり、弘中の「ボンチ」(松山地方の方言で坊ちゃんの意)からヒントを得て『坊ちゃん』という小説名を付けたといわれる。
引用元:熊谷市立江南文化財センター

坊っちゃんにモデルが存在したというのも驚きでしたし、『坊っちゃん』という小説名も、弘中さんの「ボンチ」が由来だったとは…。

・『坊っちゃん』の舞台「松山」について

夏目漱石は、大学卒業後一度高校の教師になりましたがすぐに辞めてしまい、そのすぐあとに赴任したのが、愛媛県松山市にあった松山中学でした。

この松山中学へは、英語教師として赴任していて、校長先生よりも給料が高かったとされています。

・『坊っちゃん』に出てくる、ターナー島(四十島)とは?

夏目漱石 坊っちゃん ターナー島画像引用元:松山市ホームページ

『坊っちゃん』に登場する印象深い風景というと、「青嶋=ターナー島」ではないでしょうか?

「坊っちゃん」が赤シャツと野だいことで釣りに出かけるシーンで出てくる島のことです。

「あの松を見給え、幹が真直で、上が傘のように開いてターナーの画にありそうだね」と赤シャツが野だにいうと、野だは「全くターナーですね。どうもあの曲り具合ったらありませんね。ターナーそっくりですよ」と心得顔である。ターナーとは何の事だか知らないが、聞かないでも困らない事だから黙っていた。

すると野だがどうです教頭、これからあの島をターナー島と名づけようじゃありませんかと余計な発議をした。赤シャツはそいつは面白い、われわれはこれからそういおうと賛成した。
引用元:岩波文庫P48

もちろん「ターナー島」とは小説発表後につけられた愛称で、本来は「四十島(しじゅうしま)」というそうです。

・『坊っちゃん』の時代の貨幣価値はどのくらい?

『坊っちゃん』、夏目漱石の作品に限らず、時代が異なってしまうと「お金の価値」が違いすぎて、あまりリアルに感じられないことが多いですよね?

ここでは、『坊っちゃん』にでてくる「お金」の価値を現代に置き換えてみたいと思います。
※もちろん100%正確ではないです。概算として受け取っていただければと思います。

ちなみにここでは夏目漱石が松山の中学校へ赴任した年、1895年(明治28年)で換算しています。

ちなみに以下のサイトより算出しています。
https://yaruzou.net/hprice/hprice-calc.html
・清からもらった3円(トイレの中に落としてしまったお金)
→17,708円

・兄からもらった600円と清への50円
3,541,517
295,126

・赴任した中学校の月給40円
236,101

・宿屋への茶代(チップ)5円
29,513

・清が送ってきてくれたお金(仕送り?)10円
59,025

・汽車代(上等5銭・下等3銭)
→295円
→177円

・赤シャツが済んでいるところの家賃9円50銭
56,074

・東京へ戻って街鉄の技手になった後の月給25円と家賃6円
147,563
35,415

 

う~ん、リアルなようなそうでもないような…。微妙なところですが、確かに茶代のチップは高額すぎることがわかりますね。

・『坊っちゃん』にでてくる言葉使い

※後日追加予定

■『坊っちゃん』に出てくる名言

「正直にしていれば誰が乗じたって怖くはないです」
(引用元:夏目漱石「坊っちゃん」岩波文庫版 第五章P55より)

 

たまに正直な純粋じゅんすいな人を見ると、坊ぼっちゃんだの小僧こぞうだのと難癖なんくせをつけて軽蔑けいべつする。それじゃ小学校や中学校で嘘うそをつくな、正直にしろと倫理りんりの先生が教えない方がいい。いっそ思い切って学校で嘘をつく法とか、人を信じない術とか、人を乗せる策を教授する方が、世のためにも当人のためにもなるだろう。
(引用元:夏目漱石「坊っちゃん」岩波文庫版 第五章P56より)

 

表向きがいくら立派だって、腹の中まで惚ほれさせる訳には行かない。
(引用元:夏目漱石「坊っちゃん」岩波文庫版 第八章P100より)

 

人間は好き嫌いで働くものだ。論法で働くものじゃない。
(引用元:夏目漱石「坊っちゃん」岩波文庫版 第八章P100より)

 

「履歴なんか構うもんですか、履歴より義理が大切です」
(引用元:夏目漱石「坊っちゃん」岩波文庫版 第十一章P134より)

 

■『坊っちゃん』の個人的な感想

夏目漱石の『坊っちゃん』を初めて読んだのは、おそらく中学生の頃でした。

初めて読んだのは、新潮社からでている文庫で、背表紙のあらすじを読んでもとっつきやすそうだったし、夏目漱石の作品だし…ということで手に取ったのをよく覚えています。

初めて読んだとき、赤シャツが赴任してきたばかりの坊っちゃんを釣りに誘うシーンで、「あれ、赤シャツって悪い奴じゃなかったっけ?こいついい奴じゃん」と感じたのを今でも憶えています(笑)

もちろんすぐにその気持ちはひっくり返ったわけですが…。

中学生の時に読んでも面白かったし、約15年以上だった今でも読んで面白い小説ですね。

「やっぱり。なんだかんだ。坊っちゃんは面白い」

「痛快」ではあるけれど、同時に少しもの悲しいというのも『坊っちゃん』の特徴だと思います。

結局、権力に負けてしまう。結局、理解されない。

その少しもの悲しい…というのは、やっぱり中学生時代にはあまりわからなかった部分で、どうしても無鉄砲でまっすぐな人間の痛快な人間ドラマ、という面が前面にでてきてしまって、そこを中心に読んでしまっていたように思います。

あとは、「清」の存在ですね。この「清の優しさ、存在」というものがいかに坊っちゃんにとって大きいものであったのか、改めて読んでみてその重要さがわかるような気がします。

自分以外で、誰か一人でも頼れる人、理解してくれる人がいるというのは精神的にも全然違いますよね?

でも、あくまで清は理解しているというだけでその清は近くにいません。

そんな中で、自分の気持ちに素直で、それを維持して貫くというのは思いのほかタフでないと難しいです。とはいえ、坊っちゃんはきっとそんなこと考えないでしょうけども。

と、色々書いていると、『男はつらいよ』の寅さんが思い浮かんできました。「理屈じゃないんだよ」と言われそうな気がします(笑)そういえば、寅さんも人情ドラマ的な扱いですが、やっぱりその側面には「孤独」とか「優しさ」があるんですよね…。

やっぱり、「坊っちゃんのように真直ぐに生きられたら…」とはふと思いますが、無理ですね…僕には。

会社の上司、嫁の機嫌、人間関係などなど考えるととても真直ぐにしてはいられません。正直なところ。他人からの目はやはり気になってしまいますし、陰口だって気になります。

スムーズに円滑にまわればそれで良い…と割り切ってしまいますからね。ただ汚いことは極力したくない。できるだけしないように、さっぱり綺麗でいたいとは思います。

なので間違ったことを全部突っぱねて「正しいから良いのだ」とは100%の自信を持って言えないです。

だからこそ、坊っちゃんに惹かれるんだろうな~と思います。

 

さて、だんだん収拾がつかなくなってきたので…、

最後に僕の中で謎なのが、

・マドンナの存在
・親譲り?の無鉄砲さ

の2つ。

マドンナはただすごい美人というだけで全然詳細も語られないですし、親譲りの無鉄砲という部分も、そのわりに両親から「その無鉄砲さ」を全然理解されていないところが依然として謎です。

タイトルとURLをコピーしました